50代女性、家族葬は名分不一致な言葉かも。

 私の経験や仕事を通じて「家族葬」について思っていることです。
 退官をした叔父が急死をし、残されたのは叔母と姪だけだったため、こじんまりと家族葬でお別れをすることになりました。お通夜から参列したのですが、そのときは絶え間なく弔問に来てもらえて慕われていたんだなぁと思うくらいでした。
 翌日に告別式を執り行われる葬儀は、家族葬なのでひっそりとのつもりでいました。
いざ受付に立ってみると、人伝いに訃報を聞いた方々がたくさんで、瞬く間に用意した会葬御礼はもちろんですが、参列者席が埋まり椅子も足りなくなり、会場に入れない方もおられる状態になりました。
叔父は転勤で全国ほぼ各地に赴任して関わった方が多く、遠方からでも駆けつけてくださった方がたくさんおられたのです。
会葬御礼の品は葬儀社の配慮でどうにかなりましたが、会場はいっぱいになり家族葬でこじんまりと…のギャップに驚きました。

 私は介護施設で働いており弔問をする機会がありますが、まだ当時は家族葬という言葉をあまり聞くことがありませんでした。
会社で弔電や生花を手配するときにお付き合いのある方ご本人でだけではなく、親御様などの訃報に対してということが割とありました。そして、参列すると確かにたくさんの方が弔問に来られていました。
 また、入所されている方の葬儀でも本当に身内だけで見送りたいので、気持ちだけと弔問をはっきりとお断りする家族の方もおられます。そして、参列して後から家族葬ということを知り、普通にたくさんの弔問の方来られてたけど…ということもありました。

そこで思ったことは家族の都合だけではなく、故人の方の背景や地位なども考慮した会場や葬儀の執り行い方を決めないといけないということでした。
そして、建前で家族葬ということもあるかもしれませんが、ひっそりと見送りたいという考えも余程に徹底する覚悟が必要かもと思いました。そして、ご家族の負担の計り知れなさを考えると、たくさんの弔問客は故人の方の人徳の賜物という考え方や言葉を口にすることはやめようと思うようになりました。

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