45歳主婦 家族葬のアラカルト

45歳主婦です。8年くらい前に母を癌で亡くしました。その時に経験した家族葬についてお話しさせていただきます。喪主は父でした。母は癌にかかってから、まだそんなに状態が重くない頃から葬式について父と相談していたようで、もともと病気をする前から、明るくそういった話題は家族の中であげてはいたものの、実際に目の前に死が立ちはだかった時からの意識はそれと全然違っていました。家族葬とはいえ、本当に近しいというか私達家族と母の親(祖母が存命中でした)と姉だけ、という従兄弟や甥はバッサリ切ると言った激しい?家族葬でした。その人たちとは特に仲が悪かったわけではなく、というよりむしろ仲の良い人たちでしたので、母の言い分としては「忙しくしている人たちに時間を割いて来てもらうのは申し訳ないから嫌だ」というもので、そういうわけだから葬式には従兄弟たちは呼ばないから、と母と父とで話している場面で私は「それが望みなら私は従うけど前もってお母さんから本人たちには伝えておいてね、じゃないと怒られちゃうから」と伝えていました。結果、母は誰にも事前に伝えることなく、母の従兄弟たちを結局悲しませる結果になってしまいました。お葬式自体は本当に父の思う通りに、葬儀屋が「最後に一人ずつマイクを回して奥様へ一言言いませんか?」と提案してくれた事へも「そういうことをすると緊張して心から送ることができなくなるから」ときっぱりことわり、ホッとしたのを思い出します。葬儀屋さんは間が持たないとの配慮でしたが家族だけでただただ母の側にいられて一人一人が思い思いに声をかけたり触れたりお花を母の周りにたくさん並べてあげたりする愛しい時間を過ごすことが出来ました。従兄弟たちの悲しみを後に知る訳なのですが、喪主は父ですし、とモヤモヤしてる間に祖母の他界で従兄弟たちと再会が叶う時がきました。母が決めていたこと、母から希望を伝えるよう話していたけど話せていなかったこと、どうする事も出来なかったことを理解をしてもらう努力は父はスルーして私が行いました。その後も幾度か私と従兄弟だけで会う機会を持ち、結局は死に顔を見てもらいたくなかったのだろう、と私も含めて母の気持ちにあとから寄り添えることになりました。それらの経験から葬式は生きている人の為にあるのだ、と深く思い至りました。誰を呼ぶか呼ばないか、勿論死にゆく人の気持ちも大切だけれど、最後のお別れをしたい人にはさせてあげないと可哀想だった、と思っています。一方で一番従兄弟たちを避けたかったのは父だったのではないか、本気で母を送る為には気遣いを一切したくないこと父に寄り添ったから母が従兄弟たちを呼ばないと言ったのではないか、と薄々その時から気づいていたけど、気づかないフリをしていたなあ、もしかしたら、と自分の気持ちとも向き合う時、胸がまた痛くなるのでした。