30歳女 父のための家族葬儀、心温まるものだった

私は、5年前に父を肺ガンで亡くしました。当時、母からは軽い風邪を拗らせて、肺炎で入院していると聞いていたのですが、それもつかの間、状況は急変し、大きな病院で診てもらったところ、末期の肺ガンだったことが判明しました。留学先から急遽、バタバタと帰国しましたが、私の到着からわずか2週間後、あっという間に父は亡くなってしまいました。父は元々、気が短いというかせっかちな性格だったのですが、ちょうど還暦を迎えたばかりの60歳という若さ。亡くなる時までこんなにせっかちに逝ってしまうなんて…と、思ったものです。父が息を引き取ってから間もなく、仕事で間に合わなかった弟も駆けつけました。母と父は離婚していたので、私たち姉弟が喪主となり、通夜から葬儀を行うこととなりました。しかし、私たちとっては何もかもが初めての体験です。父は対人関係が苦手な方で、友人はほとんどいませんでした。祖母が9人兄弟ということもあり、父にはたくさんの従兄妹がいましたので、その従兄妹たちがいわば長年の親友のようなものでした。そこで、私たちは母と叔父、祖母と話し合いの結果、家族葬を行うことに決めました。私も、大勢が来るわけではないし、正直言って父には十分な貯えも全くなく、私たち兄弟は、予算10~20万円程の小さな小さな家族葬をと考えていました。葬儀屋さんとの話し合いの席には、叔父と祖母も同席してくれました。提灯や祭壇のレンタル、供養用の花代など、次から次へとカタログのページがめくられ、私も弟もどんどんと重なる項目に、請求は一体いくらになるのかと不安を覚えました。祭壇や提灯は最低限のものにしようとなったのですが、棺を選ぶ際に、それまでジッと黙っていた祖母が口を開きました。祖母は、棺だけは少しでもいいものにしてあげたいと提案したのです。祖母は自分よりも先に逝ってしまった息子に、せめて旅立つときくらいは、盛大にしてあげたいと言いました。そして着せるものも白装束ではなく、父がその年の正月に着たいと言っていた着物を着せてあげたいと。私もすごく、その気持ちがわかりました。予算がない分、一番安いもの、安いものと考えていたのですが、なんだかそれが心苦しかったのです。祖母の唯一の要望に誰もが共感しました。結局のところ、祖母がお花も、もっと大きいものを…と追加で色々と注文をしたので、予算は80万円と当初を大きく上回るものとなってしまいましたが、そこは叔父が、生前は弟に何もしてやれなかったからと、工面してくれることとなりました。本来ならば、いい年の私たち姉弟が出す金額でしたが、みんなの気持ちが重なり、家族葬ではありましたが、多くの従兄妹や親戚たちが駆け付け、それなりにかたちとなりました。私は知らなかったのですが、叔父が事前に葬儀屋の方に頼まれ、最後の出棺の時に流す曲として、生前父が好きだったものを教えてくださいと言われていたようで、松任谷由美の紙ヒコーキが流れました。『空に憧れて~』という、歌のサビのところで私は、空に憧れ過ぎて早く飛び立ちすぎだよ、お父さん…と思いました。